直葬は、今どき?
よく葬儀業界のことを様々なメディアが取り上げると、「いまどき、家族葬ではなく直葬を考えられる方の比率が高まっている。というのも・・・」という記述をよく目にします。
いまどき?というのが、そもそも違和感を覚えるのですが、都市部、特に東京のような様々な人が集まっていたり、経済環境も全く違っていたりするような地域と、地方とでは「直葬」と一口にいっても、比率も件数もまったく違うわけです。
そして、たとえば大阪でも過去に比べると「直葬」を選択される方が、どんどん一気に増加しているのか?というと、驚くような伸びは示しておりません。
では、なぜ「いまどき」というのか?
たとえば昭和の頃、一般的な家庭で「お葬式」といえば、お寺さん必須、通夜葬儀はもちろん、たくさんの人が参列し、故人を弔う、というのが普通だったころに比べると、一定の割合で直葬を選択される方が増えている、というくらいのことです。
そして「直葬」が「いまどき」という表現を使うのは、あたかも直葬=シンプルで、クールな、まさに血が通っていないような葬送で、「現代っぽい」ということを表したいのかな?というように聞こえてきます。
結婚式もお葬式も、なぜか「お金を掛けるべき儀礼ではない」という風潮が世の中を席巻しはじめているように思います。
また葬儀社のことを、ひとまとめにして「人の悲しみに付け込んだビジネス」と位置付けるSNSのコメントなんかもよく見かけます。
直葬といっても、まさに「いまどき」と言えるのは、「無宗教の1日葬」的にされる方が増えているというのは、私自身感じております。
そしてそれは、宗教儀礼には頼るところがないものの、しっかりとお別れ、お見送りをするということは、いわゆる宗教儀礼に則った家族葬を行うことともなんの引けをとることもない儀式として行われることが多くなっているという実感です。
葬儀に結果的にお金を掛ける方も、それは故人に対しての敬意の表れが、「そのご当家には」当てはまっているのであって、そうしなければならないものでもなく、仮に直葬というスタイルで費用が一般的な葬儀よりも抑えられたとしても、それが故人への思いの量ではないわけです。
どうにも、そこを何かスケールで図ろうとする風潮が、世の中には多々あります。
それがどうしても、「金額」になるわけです。
仮に大金持ちと言われる方が亡くなって、その家族が「直葬」を選ばれたときに、周りは勝手なイメージを持つことが多いでしょう。ケチとか、可哀想とか、憎まれていたのかな?とか・・・。
よく日本人は宗教心がないといわれます。確かに仏事を積極的に参加したり、行ったりする人はかなり少なくなっていると思われます。
それがいくつくところが、経済性でなんでも物事を測ろうとしてしまうところに表れてしまっているような気がしています。
直葬も家族葬も一般葬も、いまどきということではなく、いつでも「自由に選択」できる時代です。
どんなスタイルで執り行っても、「後悔」しないこと。それに尽きる気がしています。
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